なぜ「フリッツ・ハーバー 天才」なのか?

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        負の世界遺産・アウシュビッツ強制収容所を訪ねて

        あまりにも有名な負の世界遺産、アウシュビッツ博物館。 アウシュビッツ博物館があるのはポーランドの古都クラクフから西に54キロのところにあるオシフィエンチムという小さな街。考える人々が世界中からひっきりなしに訪れています。

        実際には、いくら働いたところでほとんどの被収容者は自由どころか生き延びることすらできませんでした。 ヨーロッパ各地から約130万人もの人々がアウシュビッツに連れてこられました。

        2万3千人、ソ連軍捕虜1万5千人、その他2万5千人です。このうちおよそ110万人がアウシュビッツで亡くなり、犠牲者の9割はユダヤ人でした。 この時多くの人々がドイツを経由し、アウシュビッツへと輸送されました。

        その悲しき出発点である駅のプラットフォームが今でもドイツの首都ベルリンには残されています。

        あり、最大で2万8000人もの人々が収容されていたといいます。

        囚人棟の周囲には鉄線が巡らされており、約220ボルトの電流が流されていました。

        現在囚人棟の一部は、当時の様子を伝える展示室となっています。

        ここで起こった悲劇、犠牲者の苦しみを忘れないための記念碑。 アウシュビッツに到着した被収容者たちは、ドイツ軍医によって労働可能かどうかの選別を受けました。

        判定され、彼らはそのままガス室に送られたといいます。

        一缶のチクロンBで150人を殺害することができたといいます。

        ここにあるだけでどれほど多くの命が奪われたのか……言葉を失ってしまいます。

        祖国ドイツのための研究とはいえ、妻が自殺して抗議、反対したにも関わらず毒ガスの研究をつづけたハーバー博士は、第一次世界大戦後の当時、愛国者の象徴として賞賛を受けていました。

        祖国のため、戦争を早期解決しドイツ人兵士の死亡をできるだけ少なくするためにと、ユダヤ人科学者がつくった毒ガスは、時代が変わり、ユダヤ人の絶滅のために使われたのでした。

        しかし、被収容者がアウシュビッツに到着するとすぐに所持品は没収され、二度と持ち主のもとに戻ることはありませんでした。 アウシュビッツに収容された人々は専用の囚人服を着せられ、体には囚人番号を彫り込まれました。

        収容された日付と亡くなった日付が記されています。

        アウシュビッツに収容された人々は平均して2~3か月しか生き延びることができませんでした。呼ばれる数千人もの銃殺が行われた処刑場の跡地には今も献花が絶えません。
        多くの被収容者が最期の瞬間を迎えたガス室。毒薬チクロンBが投げ入れられると15~20分で窒息死してしまったといいます。

        称し、カモフラージュのための蛇口まで取り付けられていました。

        呼ばれるビルケナウを訪れると、その敷地の広大さに驚かされます。 かつては300棟以上のバラックが立ち並ぶ大規模な収容所でした。現在の静かな姿からは、ここがかつて一大殺人工場であったとはにわかには信じられません。
        当時の姿をとどめているのは全体の一部で、現在も残っている囚人棟は67棟です。 ヨーロッパ各地からつながっていたという線路。線路が尽きるところには各国の言葉で書かれた国際慰霊碑が立っています。

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