なぜ「タカシお誕生日」なのか?

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考察。「タカシお誕生日」とは何か?

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GGRYみんなの意見

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  • 其田さん: RT @__sonoda: 遅ればせながらタカシやでくんお誕生日おめでとうございます~!!7⃣ - 6 日と 23 時間 55 分 37 秒前
  • 谷本 真悟さん: 800だョ♪全員集合!!タカシさんお誕生日おめでとうございました☆モンパチはもちろん出演者スタッフ客席、皆さまホントに素晴らしかったです!ありがとうございました(^o^)そして赤犬、今週末10/14(土)は十三ファンダンゴ…
    > https://t.co/R6vqLWos0N

    - 8 日と 8 時間 37 分 32 秒前
  • たくみ@玩具かなさん: @doubfa 9/18お誕生日おめでとう、、!今日たまたま青木タカシくんに会って、サキくんの名前聞いてびっくりしました…頑張ってください…記念日もおめでとう - 16 日と 57 分 1 秒前
  • 今日はタカシくんの誕生日さん: - 27 日と 21 時間 33 分 22 秒前
  • 「タカシお誕生日」に関する教えてGoo!
  • 戦争体験のある方、または直接はなしを聞かれた方への質問です。


    戦時中、どのようなお気持ち・雰囲気で過ごされていたのでしょうか?


    当時にご自身(あるいは話者)が肌で感じ取られた思い出をお聞きしたいです。


    最近、松谷みよ子氏の現代民話集を読んでいて、ふと気づいたことがありました。


    戦争体験を語る人のほとんどは、淡々とした雰囲気で当時を語っているということです。


    もちろんそのなかには悲しみや憤りも描かれているのですが、
    話者の態度は自分が思い込んでいたよりもかなり冷静だと感じました。


    戦後のかなりあとに生まれた自分は、
    テレビのドラマやドキュメンタリー番組、あるいは手記などの影響で
    戦争時代をかなりフィクション化しすぎているんじゃないか?

    と、思った次第です。



    じつは自分の父親も幼少時に戦争を経験した世代です。


    都市部に暮らしていたので、防空壕に逃げ込む日々を送り、家は空襲で焼かれ、
    顔見知りの人々が亡くなるところも見たそうですが、
    いちばん目に焼きついた当時の光景はといえば
    「空を飛ぶ爆撃機(B29?)がキラキラしていてキレイだった」とのこと。
    もっとドラマで描かれるような劇的な思い出話を予想していたのですが、
    何度聞いても、その言葉は淡々としたものです。


    本当に戦争を経験した人にとっての戦争体験は
    「いつのまにか、そうなっていた」という程度だったのでは?と感じさせられました。


    実際のところ、戦時下の日常風景はどうだったのでしょう?
    さしつかえのない範囲で、脚色のないお話をぜひお聞かせ願いたいです。


    気長にお返事を待ちます。
    ※※
    この疑問を抱いた動機のなかには
    「9条改憲」の話が当たり前のように新聞に載る昨今の状況が
    ちょっと不安だなぁ、と思っていることにもあったりします。
    「本当に戦争を経験した人にとっての戦争体験」ということなので、本当に戦線で戦争を体験した祖父から聞いた話です。


    本人的な脚色はあるかもしれませんが、できるだけ聞いたとおりに紹介します。
    祖父は関東軍の兵士で、中国東北部を中心に重機関銃を担いで各地を転戦していました。


    1)自分の機転で部隊を全滅の危機から救った話
    祖父の部隊がある街を占拠していたところ、いつのまにか町の周りを敵によって包囲されてしまう事態になりました。


    逃げ道はありそうになく、友軍との連絡も絶たれ絶体絶命のピンチ!彼の部隊の急務は「なんとかして突破口を見つけ脱出を図る」点にありました。


    祖父は一計を案じ、「本来の突破口とは別の場所(城壁など外から見えない場所が良い)で囮の爆弾を爆発させ、敵がその場所にひきつけられている間に本来の突破口から脱出を決行しよう」と部隊長に進言しました。


    その案は実行の運びとなり、彼らの部隊は無事脱出に成功したということです。


    2)戦死者と生存者を区別する話
    戦闘が終わった後には、敵の死体が累々と地面に横たわっていることがあります。
    戦死者は敵といえども弔ってあげねばなりませんし、生存者は捕虜にする必要があります。
    でも、横たわっている人間は見た目には「死んだふり」をしているのか、動けないのか、死んでいるのか判りません。

    そんなときの関東軍のやり方は、「横たわっている人間のお尻を銃剣で刺す」のだそうです。


    順番にお尻を刺していくと意識のある者は「何らかの」反応を示し、荒っぽいけれども大変効率が良かったそうです。


    3)元敵に命を助けてもらう話
    敗戦後、祖父は武装解除され満洲から内地へ撤退することになります。
    途中で食料も水も尽き、飢えと寒さで「行き倒れ寸前」状態となってしまいます。


    そんな時、山の中で見つけた一軒家で(戦時中はあれだけ迷惑をかけたはずの)中国人から暖と食事を恵んで貰うことができたそうです。


    祖父は「ああ、やっぱり戦争はいかんなあ」と、思ったとか。

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