なぜ「#山本彩ちゃんを応援しています」なのか?

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考察。「#山本彩ちゃんを応援しています」とは何か?

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  • 🃏カワハラ マコトさん: 山本彩「baseよしもと」に通っていた過去明かす/芸能/デイリースポーツ online
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    #山本彩ちゃんを応援しています #山本彩 #NMB48 @SayakaNeon - 4 時間 55 分 17 秒前
  • 「#山本彩ちゃんを応援しています」に関する教えてGoo!
  • 確かにセンターというよりそのサイドポジションという印象が強いですけど、それはまいやんも同じことです
    握手会人気もあるし、ルックスも乃木坂の中でも客観的に見ても上位です。

    では何故センターになれないのでしょう?ダンスが苦手だからですか?


    何故なれないのかは、美人で安定した人気もあるからではないでしょうか。
    そういった分かりやすいセンターに入れそうなメンバーは意外とセンターにはなれない気がします。
    サプライズを狙っているのもありますが、最近のセンターは意外なメンバーがなったりします。
    実際まいやんはセンター1回しかなっていませんし。
    脇を固めるというか、神輿の土台という意味では、ななみんをフロントに置いておきたいという考えもあるかと思います。


    ななみん、まいやんを両サイドに置いておけば、2期生新加入の伊織ちゃんでも形にはかなと思います。

    (実際はわかりませんが。)
    あと、体育会系のメンバーはセンターになりづらいように思います。


    でも近い内にセンターになるかもしれませんよ。常に会議で名前は挙がってるんではないでしょうか。
  • プロ野球ファンに限らず、いろいろな人に聞きたい質問です!。
    現プロ野球解説者の西本幸雄さんは、監督時代、リーグ優勝は8度もしているのに、1度も日本一になれなかったのは、どうしてだと思いますか?


    西本監督って言っても、その時代はよくわからないんですが・・・。
    これは、ただ単に僕個人の意見です・・・。やっぱり、運とかツキとか、そういった類のものが、何かしらあるんだと思います・・・。
    みなさんは、どう思いますか?

    ?。
    西本幸雄という監督は、本当の意味で(別の意味で?)勝負師でした。

    が、
    幸雄という名前に反して、シリーズに関しては幸が薄かったのでしょう。
    最初のパリーグ制覇だった大毎オリオンズの1960年、山内和宏、田宮
    謙次朗、榎本喜八、葛城××(情けないけど名前忘れた)など、圧倒的な
    攻撃力で戦力的には有利を伝えられながら、前年最下位だった大洋の
    三原マジックに敗れました。

    このとき、大映社長だった当時のオーナー、
    永田雅一(今のナベツネも真っ青の超ワンマンオーナー)の逆鱗に触れ、
    詰め腹を切らされた形で更迭されたのがケチの付き始めと思います。


    当時の大毎は戦力が安定し、少なくとも2~3年続けて指揮をとっていれば、
    間違いなくシリーズ優勝を果たしたことでしょう。勝負の世界に「たら、
    れば」は禁句ですが、これは衆目の一致するところです。


    1963~73。万年3~4位を上下し「チームカラーは灰色」と皮肉られる
    ほど超地味な阪急を率いて5度リーグ優勝しながら、日本シリーズでは
    そのいずれも川上巨人に敗れました。

    当時の巨人はV9時代の最強にあたる
    でしょう。速球・足立、剛腕・米田、変幻・山田の三本柱も小技に崩れ、
    長池を始めとする打線も、伏兵堀内の鋭く曲がり落ちるカーブにタイミングが
    合わず、悔しい想いをしました。

    ですが、後に球史に残る「江夏の21球」
    の前に、阪急・巨人戦でも、シリーズを左右する1球があったのです。


    1971年。一勝一敗で乗り込んだ後楽園の第3戦。9回一死まで3安打に
    封じていた山田がランナーを1,2塁に許して迎えたバッターが3番王。
    ワン・スリー(ワン・ツーだったかも)からの5球目を王は豪快にホームラン。
    1-3でサヨナラ負け。これがシリーズの分かれ目となりました。


    1-0のこの場合、右アンダスローの山田は、左の王を敬遠して右の長島と
    勝負する手もあったわけです。

    でもそれが西本幸雄というもの。
    王は日本最強のホームラン打者。打たれれば逆転サヨナラ。しかし山田も
    優れた投手で、調子もいい。ならば勝負しかない。打たれて負ければシャーない。
    しかしここを抑えればシリーズの命運を制することができる。ならば迷わず
    勝負・・・これが西本流というものでしょう。
    勝負して負ければ終わり。勝ち負けではない勝負だけを求めた・・・。
    そしてもっとも勝負らしい勝負がついたわけで、これこそ西本が求める
    形であったことでしょう。もし山田が王を抑えていれば「西本は勝負に勝った」
    わけです。

    打たれただけ。勝負して負けた・・・それだけです。


    1974からは、当時パのお荷物といわれた近鉄に転じ、6年がかりで
    強豪チームに仕立て上げました。

    81までに優勝2回を果たしたものの、
    今度はいずれも古葉に敗れました。

    古葉も川上も管理型であり、しかも
    彼らのピークにあった時代です。


    西本幸雄という人には、選手時代を含めてそうしたピークはありません。

    そういう人なのです。

    監督として優勝を目指して戦ったことは疑いも
    ありませんが、勝ちより勝負にこだわった人なのでしょう。結果として
    勝てばいい。しかし勝ちにこだわって勝負を捨てたくはない・・・というような。
    一徹な勝負師でありながら、勝ち負けには恬淡としていた・・・。
    西本を引き継いで阪急の監督となった上田利治は、後に巨人を散々に打ち負かして
    雪辱を遂げましたが、それは西本の遺産を活用しながら、あくまで勝ちを重視し、
    そうした彼自身のアクの強さで成功しました。

    しかしちょっと考えてください。
    西本の視点は長期のスパンで選手を見、個性を引き出しながら大切に育てる、
    というものです。

    いい例は投手の使い方。梶本が長く左のエースとして君臨し、
    米田が350勝(うち、パで340勝)もできたのは西本だったからです。


    それに対して上田が、当時160キロは超えていたと考えられるほどの伝説の
    超速球投手・山口高志を酷使し、10年足らずでツブしたこととは対照的です。


    「江夏の21球」は1979ですね。

    あの時、西本には、石渡が江夏を打てない
    くらい先刻承知だったはず。だから勝負はスクイズバント。それが石渡への
    西本流の信頼です。

    ここで替えれば石渡は終生「負」の傷を負ったままだろう。
    お前もベテランや、勝負させてやる、バントを決めてみい・・・というところ
    でしょう。結果は江夏の投球術が上回った。それだけのこと。スクイズが決まれば
    近鉄の勝ちだったから勝負に出た。そして負けた。江夏の方がスゴかっただけです。


    話は逸れますが、史上に残る天覧試合のこと。5-5の同点で迎えた延長10回裏。
    村山が長島を敬遠して、5番の坂崎(いや、森だったかな)と勝負するなんて
    できますか?

    同じです。

    西本にとっては、天皇が見ていようがいまいが、
    毎日が真剣勝負。投手が打たれて点を取られれば負け、それが野球ですから、
    勝負どころは必ずある。そこで勝負しないでどこで勝負するか。勝ち負けは
    自ずと決まるもの。こだわるものではないのです。


    西本幸雄は、勝負して負けるべくして負けた。もし例に上げた二つのポイントで
    勝っていれば、勝負して勝つべくして勝っていたのですから。そのような在り方を
    求めたとしか思えない・・・そんな美学を感じます。
    弱いチームが好きだった53歳より。

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